昭和元年、ここ宝飯郡形原村にて、祖父・玉次郎がかご屋を始めたところからハヤカワの歴史は始まりました。
現在に至るまでのハヤカワの歴史、想いをご覧下さい。
昭和の三十年代の井戸ポンプ全盛時代
昭和当時、井戸はガチャポン(手押しポンプ)で水を汲み上げ、そのパイプとして竹筒を使用していました。
竹でかごを作っていた祖父・玉次郎は、これを仕事の一つとしたのです。
そして昭和11年6月15日、井戸ポンプの販売修理業を開業、商号を早川ポンプ店としました。
昭和三十年代に入り父・早川忝は、いち早く電動の井戸ポンプを販売、早川ポンプ店としてその設置と工事で井戸ポンプ全盛期を迎える事となりました。
悔しかった入社当時
昭和三十七年に蒲郡市と形原町が合併し、形原町にも市の水道本管がやってくるようになりました。
昭和三十九年早川ポンプ工業所に名称を変更し、本格的に市の水道工事の仕事を行なうようになりました。
水道が普及し、徐々に井戸ポンプが姿を消すようになってからは建築設備の請負工事の仕事をするようになったのです。
実は私は養子縁組でこの会社に入社したのですが、しばらくして父・早川忝が急逝してしまったのです。
井戸ポンプ全盛の時代から比べると商売はうまくいかず、悔しい思いの日々が続きました。
「笑売」=「商売」
「どうすればお客様に気に入ってもらえる会社になるんだろう・・・。」
そう悩んだ挙句、ある一つの簡単な答えにたどり着きました。
そのヒントはものすごく身近なところ、母の笑顔にありました。いつなんどきでも笑顔を絶やさず、お客様に怒鳴られてもいつもニコニコしているのです。
これを受け継いだ私の妻もいつも笑顔が絶えません。
淡々と仕事をこなしていてはいけない!!いつもコツコツ笑顔で願晴る事が大事なんだ。
そうやっていけば、仕事が順調になる。
お客様にも満足して頂ける。
そう考えた私は、いつでも笑顔でいる事を心がけるようになりました。自分が笑顔でいる事で、お客様も笑顔で幸せになれると信じています。
最後に・・・
ハヤカワのモットーの一つでもある「笑顔」の理由が分かりましたでしょうか?
いつも笑顔で「楽しい」「楽しい」「ツイてる」「ツイてる」と言いながら人生を過ごしているとものすごく良いことが連続して起きていくのです。
これは感謝の部分でも同じ事が言えます。
いつも「ありがとう」という感謝の気持ちを持つ事で、いつしかお客様に喜んでもらえるという事です。
これからもハヤカワは、「ありがとう」という感謝の気持ちと笑顔で、お客様のお役に立っていけたらと考えています。
ここまで読んで頂き誠に「ありがとう」「感謝」します。
いつもコツコツ笑顔で願晴る 早川はやと より